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2025年9月7日(日)   住吉大社 
 四天王寺参拝を済ませ、徒歩で阪堺電軌上町線(はんかいでんきうえまちせん)の天王寺前駅に出て、久しぶりに路面電車に乗車し、住吉大社に向かう。ところが、路面電車が出発した途端、ものすごい音がして電車が止まり、窓外を見ると、右折しようとした大きなバンが電車の左側面に衝突している。バンの運転手に怪我はないようだが、運転席でじっとしているだけで茫然自失の態である。私も事態が飲みこめると、急停車の前に汽笛のような音が轟いていたような記憶が蘇り、衝突した自動車に対する警報の音に異常を最初に感じたようである。一緒に乗り合わせた地元の人と思われる乗客が、これは30分、1時間はかかるかも知れないとつぶやいており、一時はどうなることかと気が気ではなかったが、運転手が天王寺駅の駅務員を携帯で呼び出し、後始末をその駅務員に任せて15分ほどの遅れで出発する。旅先での思いもよらぬ事故であったが、私も含めて一人の怪我人もなく幸いであった。
 
  
  
 住吉鳥居前駅で阪堺電軌上町線を降りると、目の前に鳥居が立ち、住吉大社へ続く参道となる。住吉大社は、大和朝廷が成立したと言われる3世紀後半より古い、211年に鎮座したと言われる古代より続く神社である。全国の住吉神社の総本社で、住吉大神と呼ばれる底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・表筒男命(うわつつのおのみこと)の三神、そして神功皇后を祭神としている。
 住吉大神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が亡くなった妻の伊弉冉尊(いざなみのみこと)を連れ戻そうと黄泉の国に出掛けるが、その目的が叶わず黄泉の国から逃げ帰り、海に入り穢れ(けがれ)を禊ぎ(みそぎ)した時に生まれた神々(底筒男尊、中筒男命、表筒男命)であることから、航海安全の神として信仰されているという。そのため、鳥居の手前の参道沿いに、「遣唐使進発の地」と刻まれた石碑が建っている。今では想像もできないが、古代のこの辺りは今でいう大阪湾に面した湊が開けていたのであろう。
 
住吉大社鳥居
 石造の大きな鳥居の先に 住吉大社のシンボルともいえる朱色に塗られた反橋(そりはし)が見える 参拝客は少ないが女性の多くは日傘をさして強い陽射しを避けている


  遣唐使進発の地碑 
 遣唐使が派遣された頃 住吉は住吉津と呼ばれる湊があった場所で 石碑には 複数の船と松並木とともに住吉大社と思われる建物が描かれている 遣唐使を乗せた船は東シナ海で難破するリスクが高く 命がけの航海であったと言われており 中国に渡る官吏 僧侶は住吉大神に航海の安全を心から祈願したと想像される 
 
 鳥居を潜ると、朱色に塗られた欄干が美しい反橋があり、この橋を渡ると俗界から神域に入り、一種の禊ぎ、御祓いを受けたことになるという。反橋の造立は慶長年間(1596~1614年)といわれ、全長20メートルの木造のいわゆる太鼓橋である。横板が階段状に組まれているが、踏面(ふみづら)が狭いところがあり足の運びには注意しないといけない。
 境内に入ると、急に参拝客が多くなり、特に東南アジアからの観光客の姿に目につく。
 住吉大神の4柱の祭神がそれぞれ別々の本殿に鎮座し、一番手前の第三本宮に表筒男命(うわつつのおのみこと)、その隣の第四本宮に神功皇后が祀られている。第三本宮、第二本宮、第一本宮は一直線上に並んで建てられ、第三本宮の先に建つ第二本宮に中筒男命(なかつつのおのみこと)、更に先の第一本宮に底筒男尊(そこつつのおのみこと)がそれぞれ祀られている。本殿が4つも建っている神社は初めてのことで、古代の人びとの神々に対する強い崇拝の念を感じさせる。
 私が住吉大社に関心をもったのは、住吉の地が神話として伝えられる神武東征の上陸地点に近いことと、古事記や日本書紀によると、神功皇后に対して、天照大神と底筒男尊、中筒男命、表筒男命の住吉大神が依り憑き(よりつき)、朝鮮半島を服属せよとのご神託が下されたと記述されていること、の二つの理由による。住吉神社は古代日本の歴史を肌で感じることができる場所ではないかと考え、訪ねてきたわけである。神功皇后はこのご神託に従い、新羅討伐に出陣するわけであるが、出陣にあたり住吉大神に戦勝を祈願して見事勝利して凱旋し、この地に住吉大神を鎮斎したと言われている。遣唐使が大陸に出発する地が住吉津であり、第十四代仲哀天王の御后(おきさき)であった神功皇后が祭神の一柱として祀られている住吉大社は神話時代も含めて天皇家とも縁の深い神社といえる。反橋は俗界と神域を境する橋と言われるが、現在と古代を境する橋でもあるようだ。 
 
反橋
 街道歩きで太鼓橋のある神社をいくつか見てきたが 全長20メートル 幅約6メートの太鼓橋はみたことがなく この橋を渡ると神域に入ったという気分に浸ることができる 

第三本宮拝殿(左) 第四本宮拝殿(右)
 横に二つの本殿が並び建つという配置は あまり座りが良い感じがしない 一直線に並んで祀られている住吉大神の三神と神功皇后を別扱いしているように見えてしまう 
 
第二本宮拝殿
第一本宮 第二本宮 第三本宮の拝殿と本殿は同じ造りとなっている 

 
第二本宮本殿
4本宮の本殿はすべて国宝に指定されており 文化7年(1810年)に造営され、妻入り式の切妻造となっている 俗に住吉造と呼ばれる形式をしている 天皇陛下即位の大嘗祭のときに造営される大嘗宮と類似の平面、構造と言われている
 
第一本宮拝殿
他の3宮に比べて正面が2間となり幅広の拝殿となっている
 
令和の大嘗宮主基殿(2019年12月6日撮影)
屋根の両端に交叉して配置された千木の形 屋根の棟木に直角に置かれた3本の鰹木は住吉大社の本殿とよく似ている

 住吉大神、神功皇后を祀る本宮の参拝を終えて、境内の西に建ち、本殿が宝永5年(1708年)に造営された、国の重要文化財指定の大海神社(だいかいじんじゃ)をお参りする。もちろん、本殿は住吉造である。大海神社の創建は住吉大社よりも古いと伝わっており、大海という名前が示すように、住吉が古代の湊として繁栄したことを示す神社といえるが、境内の片隅に建てられ、住吉大社よりも格下のように配置されているのは何故なのだろうか。
 大海神社の近くに、2024年に建立された一寸法師の碑が建っている。子供に恵まれない老夫婦が住吉大神に願掛けして生まれたのが一寸法師であったという。住吉大社は子宝の神でもあるようだ。
 古代史というと奈良の纏向遺跡、明日香、櫻井、平城京等の地名が浮かぶが、大和朝廷成立以前から古代の朝鮮半島との交易の窓口となった大阪は、海上交通の湊として栄えた地であったことを忘れてはいけないようである。その象徴が住吉大社といえるのかもしれない。
   
 
               大海神社
住吉大社に比べて 破風のない拝殿は簡素な造りとの印象を受ける 

                一寸法師の碑
住吉津からお椀の船に乗って都に向かう一寸法師とともに 反橋 住吉大社の4本宮の社が描かれている


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